震災支援活動

 全国精労協では東日本大震災を受け、震災支援を継続的に行って来ました。支援を行ってきた場所は、福島県相馬市にある「NPO法人ひまわりの家」です。最初にひまわりの家を訪れたのは、震災直後の418日で義援金(10万円)を届けました。

 ひまわりの家を訪れた理由は、震災直後、被災地の精神障害者の状況はまったくわからない状況でした。そんな中、精神障害者支援団体として、唯一SOSを発信していた事業所がひまわりの家でした。また、福島県では津波、原発事故により甚大な被害が出ていることは明らかでした。

 ひまわりの家は、創立約15年の精神障害者地域支援事業所で、利用者約100名を抱え、通所施設を4ヶ所、グループホーム7ヶ所を運営しています。

 震災直後は原発の影響により、利用者が通院していた精神科病院が全て封鎖され、医者も薬もなく完全に孤立した状況に陥っていました。数週間後には市内の総合病院に臨時の精神科外来が開設したものの、ボランティア医師による日替わりの支援で不安定な運営が続いていました。一方で隣の南相馬市というところからは、被災した精神障害者がどんどん相馬市に移動してきていました。そんな中で、ひまわりの家が発信していたSOSは、「長期滞在してくれる精神科医が欲しい」「被災した障害者の住む家が欲しい」というものでした。

 それを受け、私たちは知る限りのネットワークを使い情報を広め、義援金集めと精神科医探しを行いながら、相馬市への訪問を続けました。

 そんな中、徐々に相馬市を含む相双地区(南相馬市、大熊町、双葉町などの総称)の抱える精神医療の問題点や現状が見えてきました。

 まず、震災以前の福島県の精神医療の状況は、人口約200万人に対して精神科病床約8000床。精神科病院は35ヶ所ありました。つまり、人口1万人に対して病床数約40床(東京は20床)あることになります。また平均在院日数は460日以上(東京は325日)でした。これは、病院数、病床数、入院日数共に全国平均以上の数字となります。

 相双地区の精神医療の状況も、人口約20万人に対し、病床数約800床(精神科病院5ヶ所)と、人口1万人に対して病床数約40床であり、全国的に見て精神科病床の多い地域でした。

 更に、相馬市においてはかなり特異的で、人口38千人、自立支援医療受給者(精神科受診者)約450人いるにも関わらず、精神科病院なし、精神科クリニックなし、精神科医なしという、精神医療がまったく存在しない地域でした。

 つまり、ひまわりの家は、元々精神科病院の多い県・地区の中の、更に精神医療の存在しない地域で、入院医療に頼らずに100名あまりの精神障害者の地域生活支援を行っている事業体だったのです。

 その様な状況の中で、震災による原発事故により、相双地区にあった5ヶ所の精神科病院と2ヶ所の精神科クリニック全てが閉鎖となりました(約800名の入院患者は県内外に散り散りとなり、外来通院者は無医療状態に置かれました)。

 私たちはひまわりの家の支援を通じて、福島県・相双地区の精神医療の復興は、精神科病院の再建なのか、それともひまわりの家のような精神科病院に頼らない新たな支援体制の構築なのか、深く考えさせられることになりました。

 そして、現地の復興に向けた新たな動きに合流することになりました。20116月に『相双に新たな精神医療保健福祉システムをつくる会』が発足し、そこで精神科病院の再建ではなく、地域生活支援の構築を目指すという方向性が提起されました。同年9月には『相双に新たな精神科医療保健福祉をつくる会』としてNPO法人化され、20121月にはアウトリーチ型のクリニック『なごみ』が相馬市に開設されました。これらの一連の動きに関わることが出来たのは、震災支援に関わる一団体として以上に精神医療に関わる組織として、私たちのこれからの方向性を見定める上で大きな意味がありました。

 ひまわりの家から始まった支援の輪は更に広がりを見せ、東京、京都、兵庫などで震災関連の集会を開き、ひまわりの家のスタッフを招き交流することが出来ました。また、浦河べてるの家の向谷地生良さん、ジャーナリストの大熊一夫さんと共に現地を訪問し、被災地との繋ぎ役になることが出来ました。

 更に、原発事故で封鎖された浪江町にあった『コーヒータイム』という精神障害者支援事業所とも出会いがあり、コーヒータイムが二本松市という地域で再開を果たした際は、再開を祝う映画イベント(人生ここにあり)を大熊一夫さんと共に開催しました。

 一番最近参加した復興イベントとしては、浦河べてるの家が行っている『当時者研究全国交流集会』が201211月に郡山市で開催され、震災以降に出会った多くの方々と再開することが出来ました。

 今後も福島県相双地区の精神科病院・入院医療に依らない新たな支援体制の構築に注目し、私たちが出来る支援は何か考えて行きたいと思っています。